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NHK連続テレビ小説「まれ」はなぜ酷評されるのか・・・「あまちゃん」ファンから、一言物申す!

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NHK連続テレビ小説「まれ」も、いよいよ「佳境」に入ってきました。

「佳境?」・・・そう、「まれ」という物語に「佳境」と言う言葉を使っていいものか、甚だ疑問に思うのです。

「ん?」どうも、しっくりこない。

このドラマを見ていて、そう感じた方も多いのではないかと思います。

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「まれ」は、なぜ酷評されるのか?

ネットで、「まれ」の評判を見てみました。

「物語に流れがなかった。突然、時代が飛んだり、ここは重要な場面だろうと思うシーンはあっさり」と言った脚本家・演出家に対する批評であったり「失敗、おっぱいを連呼して未だにこだわってます」と言った「ギャグ?」っぽいネタに対する批判。

後は、出演者に対する批判が「てんこ盛り」の状態でした。

一方、「プロの批評は?」と思い、探してみると、フリーライターの桧山珠美さんと言う方が「東洋経済ONLINE」に書かれていました。

その中で、次の一文が私の目を惹いたのでした。

「純と愛」が自覚的に朝ドラを解体した作品なのに対して、「まれ」は無自覚に、いや、むしろその逆で、視聴者に受けると思ってやっているふしが見られるところにある。

これは、私も感じていたことで、ドラマの節々に「こんなストーリーなら感動するのでないか?」「こんなギャグを入れたら喜んでくれるのではないか?」そう言う「わざとらしさ」みたいなものを見てとれたのでした。

「あまちゃん」人気は、なぜ起きたのか?

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連続テレビ小説としては「まれ」の先輩にあたる「あまちゃん」の放映が終了した後、「あまレス症候群」という言葉が流行ったことは記憶に新しいことと思います。

多くの視聴者が、職場で「あまちゃん」の話題で盛り上がり、明日の「あまちゃん」の展開を楽しみにしている。

「あまちゃん」は、そんな「国民的ドラマ」でした、「あまちゃん」評価については色々あると思います。

その色々な評価を否定するつもりはありませんが、それらの根本にあった「あまちゃん」人気の本質は、「パワー」「エネルギー」であったような気がします。

はっきり言って、「あまちゃん」は滅茶苦茶なドラマでした。

ストーリー展開からキャラクター設定まで、NHK朝ドラのイメージを根本から覆すものでした。

しかし、視聴者は、その「荒唐無稽」さを素直に受け入れることができたのです。

それは、作者、出演者、番組スタッフの「エネルギー」を感じ取れたからではなかったでしょうか?

中学生か高校生くらいの男子は、よく「ワルノリ」で遊んだりするですが、「あまちゃん」に流れていたのは、その「ワルノリ」感であったと思います。

40、50(60?)の親父、叔母ちゃん連中が必死に「ワルノリ」をするのです。

笑えない筈がない。

そして、「笑い」は、すべてをニュートラルにする力があります。

それが、「あまちゃん」の秘密であったような気がします。

番組に対するエネルギー

残念ながら、「まれ」には、その「エネルギー」が欠けていたと思います。

作者なり、スタッフなりが、心から楽しいと思い、悲しいと思う。

その気持ちを出演者を通して視聴者に伝えていく。

その根本的なところが欠けているように感じるのです。

だから、視聴者に「何も」伝わらないのではないでしょうか。

もっとも、このことは「まれ」に限らずNHKの番組全体について感じることでもあるのですが。

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